Photokoto(ふぉとこと)とは
おいしいもの、50代主婦のリアルな在宅ワーク、写真、カメラ、植物の話題を扱うライフスタイルブログです。多趣味で凝り性なのに飽きっぽい50代主婦が、楽しい、おもしろい、興味深い、役に立ったと思ってくれるような写真と文章でお届けできるように心がけています。
裏テーマは「50代でも在宅で好き”も”仕事にしながら生きるヒント」を提案するブログです。
ブログ歴はまあまあ長くて、2004年~2011年まで無料ブログサービス(JUGEM)で「Little Journey」というブログを運営していました。その後、音楽関連のサイトを2つほど運営していましたが、一旦閉鎖してWordPressに引っ越し。
「深夜カメラ堂の裏口」というなんとも怪しい名前のブログを立ち上げて、フィルムカメラや写真、自分の趣味について3年ほど節操なく書いていました。このブログは、その頃の集大成をリライトした記事もまざっています。
好き”も”仕事にしている50代主婦在宅パラレルワーカーです。おいしいもの(2023年現在、広島へ引っ越しました)やイベント、在宅ワーク、カメラや植物(たまにサブカル)のことをゆるーくお届けしながら、自分の棚卸しのためにこのブログを運営しています。
おおしまさん略歴 - 仕事編 -
広島のベンチャー企業に就職
葬儀用写真の画像修正とフォトブックを主としたベンチャー企業に就職。PhotoShopを駆使して画像処理をこなす。葬儀関係ということで、時間に追われ、年中無休でトイレ休憩もままならない環境だったため、体調不良を訴える人、うつ病で休業する人が続出。仕事中に倒れる人まで出る始末。
そんな最悪な状況だったけど、役職もついてそれなりにバリバリ仕事していた時期でもある。
【人生初の海外】在籍中、オーストラリアのゴールドコーストへ。コアラのかわいさに圧倒される。フレーザー島、また行きたいなあ。
会社員から在宅フリーランスに
あることをきっかけに、在宅翻訳者になることを決意。翻訳講座に入会し血尿こそ出なかったものの、猛勉強の末、念願だった在宅翻訳者に。英日フリーランス翻訳者として活動し、特許翻訳(化学・機械)とゲーム翻訳を経験。初報酬は文字数忘れたけど特許翻訳で68,800円だった。ちなみに、ゲーム翻訳の初報酬は79,110円。
ちなみに、この頃出会ったライティングの教材「文才ゼロから始めるWeb記事執筆術」は今でも使っている神教材。
しばらく二足のわらじを続けたあと、ベンチャー企業を退職し完全在宅フリーランスに。ただ、翻訳者であることに違和感を抱くようになり、大きな壁にぶち当たる。紆余曲折あり、「翻訳者ではない自分」を見つけ翻訳業は9ヶ月で幕を閉じる。最高月収は同年12月の17,8000円だった。(特許翻訳)
翻訳者向けオンライン講座を開校・Youtubeでネットラジオに挑戦
翻訳者を対象としたオンライン講座「KoKoDoki Company」を現役翻訳者と一緒にスタート。同講座内でWordPressオンライン講座を主催。
同時に、輸入転売に挑戦した年でもある。教材を買ったり、塾に入って輸入転売のさわりだけやってみたけど、梱包、発送が面倒くさくて私には合わなかった。また、業務委託で楽天ショップの運営サポート(デザイン業含む)もやったけど、2ヶ月で退職。
カメラ好きが講じて、カメラリセールをやっている人と知り合いになり、カメラリセール用教材の制作と販売をサポートすることに。3ヶ月で147,000円の報酬になる。
独学で動画編集をスタート。
S氏とYoutubeでネットラジオにも挑戦するも、10本目で終了となってしまった。
大阪の広告事務所に正社員というか業務委託というか……入社
未経験ながら大阪にある広告事務所に拾ってもらい、在宅でディレクター、校正、企業サイトのコンテンツ管理、WordPress操作のレクチャーなどを担当。(途中、社員から業務委託へ)。
在宅ワークだったんだけど、広島のお客さまのところへは打ち合わせで何度かお邪魔することも。いろんな方と知り合えてよい刺激になった。
オンラン講座の運営もやっていたので、二足のわらじ状態。休みなく働いていた時期。
同年、知り合いの翻訳者が翻訳者向けのセミナーを東京と大阪にて開催するということで、KoKoDoki Companyにお声がかかる。集客用のLP制作や広報、セミナー動画の編集を担当し、当日、N氏は現地で私はリモートでサポート。
独学での動画編集に限界を感じたのと、動画編集者を目指したい!と思い、サロンに入って勉強。
コロナの世界的感染拡大で混乱する世の中
コロナウイルスの世界的な感染拡大がはじまった年。ライフスタイルが激変し、リモートワークやオンラインスクールなどが急速に広まったきっかけに。
そんななか、WEBコンサルティングやSEO事業、WEB制作、システム開発を主な事業とする会社にパートで入社。WEBライターのスケジュール管理やWEBディレクターの補佐として簡単な事務作業を経験。あとで聞いた話しだと、300人くらいの応募があったらしい。これもコロナの影響だったんだろうなあと。しかし、よく採用されたな。
夫さま(設計士)も急にリモートワークになって混乱していたし、身近な人たちからも仕事が激減してどうしよう……という声を聞いていたけど、ずっと在宅で仕事をしてきていた私は幸いにもノーダメージだった。本当にまったく、なんにも変わらなかったので、逆にちょっと不安になったくらい。
オンライン講座サービス終了
メイン講師だったN氏が多忙を極め、このままでは質の良いサービスが提供できないと判断し、6年続いたオンライン講座とWordPressオンライン講座を終了へ。
さて、私はというとメインの仕事がなくなり、さらに、応募者300人から勝ち取ったWEBコンサルティング会社を7月で退社したこともあり、若干焦りながらもWordPressへの記事入稿作業(時給1200円)、電話アポインター(時給1000円)の業務委託を掛け持ちして食いつなぐ。
パラレルワークをしながら、完全在宅のパート探しを続けた結果、8月、東京にあるオウンドメディア構築サービスの会社に採用が決まる。時給1,200円からのスタート。翌年3月→1250円、6月→1350円、9月→1400円と順調に時給アップ中。
完全在宅でパラレルワーク中
現在は、完全在宅で東京にあるオウンドメディア構築サービス会社(現在の時給1,500円)にて、大手お菓子メーカーWEBメディアの文章品質管理とアップロード作業、データ整理などのバックオフィス業務と、石川県にある工務店さん(時給1,100円)でマーケティング的なことやライターやバナー制作、WordPressいじったりしながら忙しいながらも、自分のペースで楽しくお仕事しております。
おおしまさん略歴 - プライベート編 - ※加筆途中ですが興味ある方は右の矢印をクリックしてね
名前を呼ばれただけで泣いてしまうような幼少期。三つ編みおさげがトレードマークだった。
小学5年生のときに読んだ小山田いくの漫画「ウッドノート」に触発され、日本野鳥の会に入会。バードウォッチングにはまり、5年生と6年生を野鳥の会会報への投稿とバードウォッチングに捧げる。小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「鳥の写真家になってカナダに行くこと」。この頃使っていたカメラは祖父のCanon 110ED(110ミリフィルム)だった。
掃除の時間に流れたYMOの「RYDEEN」に衝撃をうけ、放送部に入部。放送室でレコードをかけながら給食をいただく日々。同時に、GIオレンジ、マドンナ、オールディーズにはまる。
ずいぶん長いことカメラや写真からは離れていたけど、葬儀用写真の画像修正とフォトブックを主としたベンチャー企業に就職し、Photoshopを習得したことで、再び写真撮影を再開。フィルムカメラLOMO-LCAを購入し持ち歩く毎日。そこからどんどん欲が出て、ハーフサイズ一眼レフカメラOLYMPUS PEN-FTを購入。一気に写真熱が加速。
給料のほとんどをライブ通いとCDにつぎ込み、仕事が終わってから大阪でライブみて、広島に帰る的なことをやってた。
この日のためだけに生きてきたのだと思えるほど、素晴らしい日だった。恐ろしく緩やかに流れる時間、リアルの中のアンリアル。
The Prodigy、ダレン・エマーソン、!!!(チックチックチック)、LCD Soundsystem、2 Many DJs、ティム・デラックスなどなど、卒倒寸前のメンツ。夜通し踊り続け、疲れたら会場の地べたで寝転んで。
レイヴイベントが終わったのは日が昇ってから。駅までの道を朝日を浴びながら歩き、電車の中で泥のように眠ったのはいい思い出。
音楽ブログで知り合った友人と2人でSUMMER SONIC@富士急ハイランドに参戦。
ブルートーンズにハマり、ファンサイトを立ち上げる。サイト経由で知り合った同じファンの人たちとブルートーンズ@大阪のライブで合流。ブルートーンズのメンバーがいる打ち上げに参加したのは今でも信じられん。
この年フジは結局3日間雨で今までのなかでも一番過酷だったけど、同時に一番充実したフジでもあった。前夜祭にも初参加したしね。花火と、一斉にRED MARQUEEへ流れ込む狂喜乱舞した人たちがとても印象的で興奮した。
そのRED MARQUEEでMyloから合流したHさんとラストまで踊り&喋りまくり。そして、死ぬほど笑って、倒れそうになるぐらい笑って、もう頼むからヤメてくれってほど泣き笑いして。でも2人ともシラフだってことに気が付いて。そんでまたそれがおかしくて。ああ、もうあんな体験は二度とできないなあ。
でもって、初めての朝霧JAMで初めてのオールキャンプで、初めての寝袋を体験。天気がよかったこととか、近所に親切な人たちがいたこととか。夢のような2日間だった。一生忘れない。
同年、急に思い立ちバリ島へ。プール付きのヴィラで、過去最高の金持ち気分を味わう。バリ島行きの飛行機がめちゃくちゃ揺れてさすがの私も怖かった。
ビートルズがアビーロードを渡った日に娘が生まれる。生まれたとき泣かなくて、すぐにICUに運ばれた。粉ミルクを飲まなかったので、母乳を絞って夫さまが届ける毎日。
我が子と一緒にいられないことの不安と寂しさで毎日泣いていたなー。あと、肩が引っかかってなかなか出てきてくれなくて。掃除機みたいなので頭を吸われたためか、娘の頭がまるでCORN HEADみたいになってめちゃくちゃ心配したけど、現在、ちゃんとまるくおさまってます。
きっかけは忘れたけど、旅は好きだったし、はあちゅうさんの旅本がつくられていく過程が見られる!ってことで参加。そのときの参加メンバーでスピンオフ的な会をnoteでつくってて。そのとき書いた記事がこれ。
このサロンに触発されたのか、なんなのか、kindleで写真集を2冊出版。写真はたくさんあるので、また出版したいけど、なかなかどうして面倒で重い腰があがらない。
夫さまの両親と同居生活がスタート。いわゆる「ゴミ屋敷」との壮絶な戦いがはじまる。今思えば、ネタとして記録を残しておけばよかったかなと。
この年、はじめて「BitSummit@京都」に参加。ゲームイベントははじめてだったので、超楽しかった。(語彙力)
略歴にないその他のお仕事
- 民宿サイトの構築とWordPressレクチャー
- Kindle用表紙制作(一部校正とコンサルティング含む)
お気に入りのカメラ
写真やカメラは、まったくの趣味で「上手な写真」ではなく「いい写真」が好き。
OLYMPUS PEN-FT
初めて手にしたハーフの一眼レフカメラ。その見た目の美しさに一目惚れ。ちょうど良い重さと、Zuikoという素晴らしいレンズを持つ。撮っていて一番心地よいカメラ。
Bell&Howell DIAL35
まるで電話みたいなハーフカメラ。自動露出で距離は目測。1回撮るごとに、グリップを『ジーコジーコ』と回して巻き上げる。なにかと手のかかるねじ式のかわいいヤツ。このカメラでモノクロ写真を撮るといい味が出る。
CANON EOS-1N
ほとんど絞り優先でしか撮らないけど、一番失敗の少ないカメラ。重いのが難点。シャッター音とルックスがプロのような気分にさせてくれる(笑)コダックのフィルム「ポートラ160」との組み合わせが最強。
Zenit 122
最初は「おもちゃみたーい」って小馬鹿にしてたんだけど、使ってみるとこれがクセになる写りでやめられない。一眼レフだけどボディがプラスチックなので重くないから、どこにでも連れていけるのがうれしい。無骨で男性的なのに、なんかかわいいヤツ。
カメラの作例はnoteで公開しています。ただいま絶賛まとめ中で、まだすべてアップできていませんが、カメラを購入するときの参考にしてください。
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