世の中には「空気まで写る」とか「空気さえも撮れる」といわれているレンズがあります。
たとえば、Carl Zeiss(カールツァイス)のプラナーや、ERNST LEITZ(エルンストライツ)のズミクロン。
ただ、空気は無色透明なので見えるわけがなく、写真に撮れるわけがないですよね。じゃあ、どうしてプラナーやズミクロンは「空気まで写る」といわれているのでしょう?
空気の存在は目で見て識別できません。なのに、「空気まで撮れる」と言っている人たちは、これらのレンズで撮影した写真に一体なにを見ているのでしょうか。
空気の分子?
違いますよね。
水は見えます。正確には、水の表面ですけど。空気も水の中であれば『泡』として見ることができます。正確には、水と空気の境界面ですけど。
そうなると、無色で完全にムラのないものは、見えないということになりそうです。見える手がかりがない、とも言えるかな。
じゃあ、目に入っていても見えていないとしたら。見えても見つからない、といったほうがいいかもしれません。
写真を撮りはじめた頃は、見えるものしか見えていませんでした。目に見えるものがすべてというか(これ、青春時代あるある?)、まるで探しものをするかのように、頭の中のイメージを目で見た実像と重ねて、合っているかどうか調べるというか。
世の中には、目に見えるものと見えないものがあります。
見えないものを見えるようにするのが写真で、見えても見つからないものを撮影するのもまた、写真ではないかと思のです。